戦国武将のお話 その5
2022.10.28
CATEGORY : 歴史
こんにちは!陸奥守です。
今年は新作のオフゲ(オフラインゲーム)が豊作でうれしい悲鳴ですが、幻塔(Tower Of Fantasy)をやり始めたせいで積みゲーが増えました……。
(「ゼノブレイド3」「ヴァルキリーエリュシオン」「黎の軌跡II」etc…)
まぁ長く楽しめると考えればいいことですよね(?)
さて、今回ご紹介する武将は北出羽(秋田県)の
戸沢 盛安(とざわ もりやす)
という武将です。
- 出自
盛安は1566年、角館城主 戸沢道盛の子として生まれ、病弱な兄 盛重に代わって13歳で家督を相続し、角館城主となります。
戸沢は当時、陸奥(青森県)を中心に広大な領地を支配していた南部氏に従属していました。 - 角館の英雄
盛安は南部氏からの独立を目指して破竹の勢いで領土を拡大します。
最上氏をはじめ近隣の諸将と連携して、1582年には同じ出羽の名将 安藤愛季(あんどうちかすえ)の軍勢を僅か1,000の兵で破ります。
そして北浦郡(秋田県中東部)を制圧すると、1586年には小野寺氏を破り上浦郡(秋田県南東部)へも進出、現在の角館地方を中心に確固たる勢力基盤を築き上げます。
なお小野寺氏との戦いの際、500の手勢で敵陣へ突っ込み小清水蔵人を打ち取るなどの猛将ぶりを発揮し、鬼九郎・夜叉九郎(元々の通称が九郎のため)の異名で称されるようになりました。
このときまだ21歳、若き英雄ですね。
また1579年には織田信長に鷹と名馬を送るなど、外交対応もしっかり行っています。 - 小田原征伐への参陣
1590年になると豊臣秀吉による小田原征伐が始まり、例にもれず盛安も参陣しようとするわけですが、これまた逸話があります。
角館を出立すると、東海道を西に進み大井川を渡ったところで秀吉と行き違いになったことに気づいたため、盛安はあわてて戻ろうとしますが、大井川が雨で増水し渡れなくなってしまいます。
すると信じられないことに盛安は「一夜たりとも遅参してはならぬ」と家臣の制止を振り切り根性で泳ぎきったそうです。
破天荒、ここに極まれり。
最終的にずぶ濡れのままながら秀吉に謁見することができ、秀吉は盛安の行動に満足し、腰刀備前兼光の太刀を拝領したそうです。
しかし無理がたたったのか、小田原の陣中で没してしまいます。
なお戸沢氏としては弟・光盛を後継者として角館の4万4350石を安堵されました。
- 出自
25歳の若さで亡くなってしまったわけですが、短い人生の中で強烈なインパクトを残した武将ですね。
それではまたの機会に|ω・)ノシ